2014年05月19日

デザインコンペにて

とあるオンラインのコンペで、
クライアントから連絡があった。

英文タイプと和文タイプの、
2種類のロゴを作ってくれという
デザインのコンペに提案していたら、
クライアントからメッセージにて、
別の提案者が出してる英文タイプの
デザインデータを添付し、
そのデザインのように作ってくれと言われた。

解りやすくいうと、
パクれという指示である。

しかし、いくらクアイアントの指示でも、
他人のデザインを盗用するわけにはいかないので、
ニュアンスだけ似せたデザインを作成して
修正案を提案した。

そして本日、そのデザインコンペの当選案が発表された。

当選したデザイナーは、
私の元にパクれといって届いた
英文タイプのデザインを作っていたデザイナー。

しかし当選したデザイン案をみると、
併記されてる和文タイプのロゴデザインは、
私が作ったデザインそのものだった。

どうやらクライアントは、
英文タイプで気に入った案を出してるデザイナーに、
和文タイプの私の案をパクれと指示し、
私にはそのデザイナーの英文タイプをパクれと指示したようだ。

結果、そのままパクったデザイナーは当選し、
クリエイターとして良識を守った私は落選。

こういこと、結構頻繁にあるんだが、
なんとかならないものだろうか。

正直者が馬鹿をみるような世の中には、
なって欲しくないのだが。

文句を言いたいのは山々だが、
基本的には書体には版権が認められない。
その為、データを盗んだのなら版権問題にもなるが、
出来上がったデータをトレースされたものについては、
主張できる権利が何もない。

だからといって、
やって良いことと悪いことはある。
法で規制されてなければ善というわけではない。

クアイアント側の良識のなさも問題だが、
こういう事は本職として、
クリエイターがしっかりするべきだ。

プライドはお金にならないかもしれないけれど、
捨ててはいけないプライドってものは、
どんな仕事にもあると思う。


2012年09月29日

領土問題以前に・・・

尖閣諸島の問題について、
報道の街頭インタビューの内容の傾向。

【中国人】
意見→尖閣諸島は中国の領土だ。
解決方法→日本がそれを認め謝罪するべきだ。

【日本人】
意見→尖閣諸島が中国のものとはなってほしくはないが、お互いに納得行く形にして欲しい。
解決方法→解りません。

これって、報道の偏りなのかな?
それとも国民性の表れ?

正直、これが偏りのないフラットな報道だと仮定するならば、
領土問題の前に日本にはするべきことがあるんじゃないかと。

滅多なことじゃ政治家の味方的発言をすることないですが、
ぶっちゃけ日本の政治家は大変だと思う。

サラリーマンに例えるなら。

部下『給料上げてください。』
上司『売り上げないのにどうやって?』
部下『知りません。それを考えるのは私の仕事じゃありませんし。』
上司『えっ・・・・Σ(´Д`|||) 』

こんな感じかなと。

まぁ、前記した様に、
報道が事実かどうかは別の話なんで断定はできませんが、
確かにそういう傾向はあるような気がします。

一言で言えば、

『愛が足りない。』


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2012年09月05日

少年犯罪に対する厳罰化について

こんな記事を見かけた。

■少年犯罪に対する厳罰化は、少年を切り捨てるだけの社会(BLOGOSより)
http://blogos.com/article/46245/

全部読むと長いので要約すると、

少年犯罪を厳罰化は正しいのか?
厳罰化することで犯罪が減るというのは浅はかな考えだ。

そんな話。

細かい内容はさておき、概ね共感する。
私も昔から思っていた事がある。

『警察って、起こってしまった犯罪を取り締まるのが仕事なの?』

起こってしまった犯罪を取り締まるよりは、
犯罪が起こらないようにする事の方が大事。

罰則が厳しいから、犯罪を犯さないという人は、
罰則が緩まれば、また犯罪を犯す。
厳罰化で表面的な犯罪が減っても、
中身は何も変わらない。

中身を変えないと、いたちごっこにしかならない。

根元治療という言葉がある。
病気になった、薬を飲んだ、治った。
そしてまた病気になった、薬を飲んだ・・・
では、ずっと平行線上を辿っていくだけなのだ。
生活習慣など、病気の原因となる行動を改善しない限りは。

それと同じじゃないかと思う。

単純に厳罰化で少年犯罪を減らそうなんて考え方は、
生産性なんて何もない。
錆びた鉄に、メッキを塗るだけの行為だと思う。


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2012年08月31日

モノ作り大国?

『Made in japan神話の崩壊』

“日本は世界でもトップレベルの技術を持った国だ”なんて話が出る度に、
私の脳裏にそれを否定するようにずっと浮かんでた言葉。

15〜20年ぐらい前だろうか、PCやインターネットがまだ普及しきってなかった時代、
まだPC販売のメインが家電メーカーだった時代の話。
日本はPC/インターネットの普及率で韓国に負けた。
あれは、韓国の国事情なんかも原因ではあるのだが、
ITへの国民の意識の違いってのも大きかったのではないかと思う。

これからのIT化の中で、日本の家電メーカーは一気に崩れ落ちる。
そんな予想も難しくはなかったし、現にその悪い予想は的中してる。

最近だと、シャープが赤字続きで台湾の鴻海と手を組もうとする動きが注目されている。
このシャープの液晶『世界の亀山ブランド』などと称して売っており、
いかにも世界中で絶賛されているような気がするのだが、
残念ながら世界ではシャープの液晶など相手にされてないという話だ。
『世界のトップレベルの技術を持ってる』という意味では嘘ではないと思うが、
技術ってのは需要と供給が揃って生かされるもので供給だけあっても仕方がない。

検索エンジンを例に出すとわかりやすいが、
世界でのシェア1位は『google』、そして2位は『百度』。
そう言われても、日本に住んでるとパッとしないと思うが、
百度は人口の多い中国国内のシェアが断トツで1位で、
それだけで世界では相手にされてなくても世界2位のシェアになれる。
これを広告にするならば『検索エンジン世界シェア2位!世界の百度!』などと書けば、
『うちの国の企業は世界と戦えてるんだ。すごいなぁ〜』なんてなる。
まぁ、中国国民が日本人ほどブランド信仰が強いとは思えないがあくまでも例えの話。

シャープの液晶もそれに近いと判断してる。
現に世界の亀山ブランドは世界では相手にされていないが、
日本では断トツトップのシェアを誇ってる。

家電メーカーが技術力ではなくブランド力で売り始めるってのは、
既にダメになってる証拠なんじゃないかと良く思う。

考えてみれば80年代のMade in japan神話の真っ只中では、
次はどんな技術革新があるのだろうか?と新製品が出るたびにワクワクしてたものだ。
ちょうど、今のAppleの製品のように。
それはやはり、物作りが創造的(クリエイティブ)だったんだと思う。

最近は日本の家電メーカーの製品でワクワクした記憶なんかまるでない。
まったく製品の開発がクリエイティブからかけ離れてる気さえする。
過去の技術力にあぐらをかいて、上から目線で他国の技術を眺めてた結果、
兎と亀の童話のように、気がつけばトップではいられなくなってしまってるような。

『物作り』を『モノ作り』などとカタカタの表記で
ちょっとクリエイティブっぽく見せるというのは、
広告制作において常套手段となってしまったが、
ぶっちゃけ、こんな事をやってる事自体がまるでクリエイティブではない。
本当に商品がクリエイティブならクリエイティブっぽく見せる必要なんてない。

日本の家電企業が失ったものって、
物作りから経営にシフトした段階で創造性を失ってしまった事だと思う。
ちょうど大手3ブランドの創業者が亡くなった頃からだ。
推測もあるんだが、技術者であった創業者が亡くなって、
社風として物作りを少し軽んじる動きがあったのかもしれない。

技術を持たない経営者ってのは経営を過信しすぎてて、
どうも物作りを軽んじる傾向ってのはあるような気がする。
これは私の偏見かもしれないが、現在の勤め先の社長を見ててもそういう傾向はあるように思う。
言葉では『生産あっての会社だから』とは言うものの、
生産は代用が効くものであり、経営こそが会社の肝と思ってるような・・・。

そこには、ある種の自己防衛的な感情もあると思うのだが、
結局のところ技術も経営スキルの両方を持ってないと、
なかなか経営者なんてのは難しいのかもしれない。

技術はあっても経営スキルがない経営者が会社を潰すなんて話は良く聞くが、
今という時代は経営スキルがあっても技術がない経営者が会社を傾けていってる気がする。
ようするに技術過信も経営過信もどちらもダメで、そのバランスをうまく身につけた経営こそが成功の秘訣という事か。
ともあれ人間ってのは自分の存在価値を見出そうとするから、
自分が持ってるスキルを過信してしまうのは自然なことで、
バランスをとるってのはそんなに簡単にはいかない。

そういう事を考えると、ちょっと心配なのはapple。
スティーブ・ジョブズ氏がなくなってからどうなるのか。
日本の家電企業のような道を辿らなければ良いのだが・・・。

さて、話を戻すがコチラは日本の輸出入品目の推移がまとめてあったサイト。
キッズ向けの記事だがかなりわかりやすく書いてある。

■日本の主な輸出入品目

http://www.jftc.or.jp/kids/kids_news/japan/item.html

これを見るとはっきりといえるのが、
一般消費者向けの市場への輸出品目がなくなってきている。

円高というのも一つの理由かもしれないが、
製品作りからパーツ作りにシフトしていってるのかなという気がしないでもない。
ただ、人件費の高い日本でパーツ作りとなると、
他国には真似できない技術力が必要なパーツ以外は難しいし、
テクノロジーが進歩して、人による技術力が不要となった時に切り捨てられるのが目に見えてる。

メディアで『モノ作り大国−日本−』的な表現を良く聞くが、
そんなので安心してるようじゃダメなんだと思う。色んな意味で。



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2012年08月29日

伝えたい事は手短に伝えた方が良い

偶にはデザイン以外の広告の話。

私はグラフィックデザイナー/ディレクターとして会社に勤めてるわけで、
当然デザインの仕事がメインなのだが、
小さな会社なのでそれ以外の仕事もちょくちょくやらされる。

最近は店内放送の編集システムのアナログ機器が壊れたもんで、
いままでナレーションを読んでくれてた方にやってもらってたのが、
デジタル編集を行うスキルがないのと、
録音ブースにPCを置くスペース・予算がないってので、
私が編集をすることになって、ここ3年ぐらいやってる。

img-120828.jpg

この店内放送の編集、始めた頃は1分ぐらいの尺の放送内容だったのだが、
だんだん原稿量がエスカレートしていって、今じゃ2〜3分。

チラシでもなんでもそうなんだが、
クライアントってのは、同じ予算なら多くの情報量を詰めたがるものだ。
きっと、その方がお得な気分になるんじゃないかと思うんだが、
まぁ、例外は殆どなく、何処のクライアントも詰め込め!詰め込め!と原稿を送ってくる。

しかしチラシにしてもポスターにしても、そして店内放送にしても、
多すぎる情報ってのは必要な情報を埋もれさすだけで逆効果になる。

人の記憶ってのは3段階に渡って行われるといわれ、
『超短期記憶→短期記憶→長期記憶』の順番で、
目にしたもの/聞いたものが保存される。
ともあれこの『超短期記憶』ってのは容量がほとんどないもんで、
情報が増えると集中して取り入れた情報以外は、
どんどん上書されて古いものは消えてゆく。

ましてや店内放送なんて買物をしながら聞くものだ。
そんな中での人間の集中力ってのは2分も持たない。
それを考慮すると、よほど興味をひかれる内容でない限り、
15秒とかせいぜい30秒が限界だと思う。

実際のところ15秒ぐらいにまとめてしまわないと、
2分の店内放送を聞かされても頭に残るのは
せいぜい『本日のご来店ありがとうございました』という結びの言葉ぐらいだ。

それで購買意欲が沸くかというと、
当然沸かないわけで、
こんなの放送する意味なんかないし、
ましてやお金を払って製作するなんて無駄以外のなんでもない。

この仕事を引き受けたときに、
1分でも『長すぎませんか? この半分で良いと思うんですけど。』と助言したが、
皮肉な事に短くなるどころか逆に伸びていくという結果となってしまってる現状。

あとは営業マンのスタンス次第なのではあるが、
どうも無駄にしかならないものを作るってのは、
例えお金になったとしてもモチベーションが上がらない。



それはさておき、
こういう事は実生活のなかでもいえる事。

伝えたい事ってのは、
その全てを伝えようと思ってしまうから、
なかなか伝わり難いものだと思います。



そして私も、ぶっちゃけこの記事長いな・・・。
というかこのブログの記事全部文章長いな・・・。

2012年08月28日

原発について(現時点での見解)

ぶっちゃけ専門家じゃないし、
正直なところ良く解らないというのが本音。

とりあえず私の解釈。

ようするに現状の反原発派ってのを解りやすく交通に例えると、
東京まで出張するのに飛行機じゃ危ないから、
飛行機での移動は禁止して車にしない?って言ってるのと同じということ。

車の事故率と飛行機の事故率を考えると、
基本的に飛行機の方が安全なんだが、
一回の事故が派手で鮮明に脳裏に焼きつくので、
飛行機の方が『危険な乗り物』として認識されてるというような。

飛行機の事故率については、
ググったらここに詳しくかかれてたので略

http://allabout.co.jp/gm/gc/53319/

ようは火力発電に関わる死亡事故率と、
原発に関わる死亡事故率でははるかに原発の方がリスクが少ないという話。



でまぁ、元々何故原発かっていうと、
『利権』と『放射能』のせいでどうにも原発には汚い/危険なイメージしかないが、

・現存する発電施設としては一番費用対効果の面で優れてるという事。
・石油資源を必要とする火力発電に頼ると、石油を断たれたときのリスクが大きい。
・自然エネルギーを利用した発電は発電にムラがでる。
・また自然エネルギーの発電のムラを回避する為の蓄電方法にコストがかかりすぎる。
・原発はCO2を排出しない。等

当然、発電効率の良い発電方式である原発を停めるとなると、
資源コストが上がり経済的な問題も出てくるわけで、
不況が長引いてる日本経済にさらに打撃が加わると。

結局のところ、次の選挙に向けて政党が2020年だか2030年だかに、
『原発ゼロを目指します!』などと言ってるが、
実際のところ、もう一度火力へと逆行するリスクってのは、
原発を再稼動するよりもリスクが大きいという話らしい。

私自身、原発推進派ではないし、(当然反対です。)
原発に頼ったままで良いとも思ってはいないのだが、
現実問題として代替するものが現時点では火力しかないので、
次の技術が確立すると共に原発よりもローコストな資源の登場を待つしかない。

今のところの流れだと、
シェールガスによる発電が一番現実味を帯びてるといったところか。

シェールガスについてはここに詳しく書いてます。

http://www.nikkeibp.co.jp/article/column/20120514/308660/

さて、ここまでが現時点での私の解釈。
間違ってる事もあるかもしれないし、
私がtwitterやブログでよく読む著名人の意見に偏ってる部分もあると思う。
だけど、これが正しかったらと考えると、
日本の進む道はこのままで良いのか?などと思ってしまう。

今、日本に必要な政治家って、民衆を説得する説得力を持ち、
色々な情報の中、何が正しい情報なのかを判断できる判断力と、
グイグイと国を引っ張っていけるようなエネルギッシュ決断力をもった人だと思ったり。

民衆の顔色伺って発言してる連中はどうにも信用できない。

さて、各政党がどう動くかは解らないし、
次の与党が何処に決まるかも解らないが、
結局のところ、あくまでもここまでの話が事実だと仮定した場合だが、
今のままだと進む道は二つしかない。

【その1】
とりあえず『原発ゼロ!』のスローガンの元に選挙演説を行い、
民意を無視して原発は動かす。

【その2】
民意に沿ってリスクの多い火力へと逆シフトする。


で、結果的に『また騙された』ってなって、
政治への信頼と関心はさらに薄くなっていくと・・・・。

悪循環やなぁ。

ともあれ、この反原発ムードのご時世に、
『いずれ原発はなくしますが、今は原発が必要なんです解って下さい!』
などという勇気ある選挙演説をする方が現れたら、その人を支持したいと思ったり。

そんな勇気がある人がいるとは思えない気がする。

とここまで、
どうにも信用できる情報が少ない気がするので、
自分自身が『きっとこれは信用できるのでは?』と思った情報を読んで、
自分なりに解釈してまとめたもの。

今回はあくまでも他人の情報を基盤としての見解なので、
きっと、おかしなところを突っ込めばボロがでます。(爆)
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2012年08月21日

これ以上失望させないでほしい

今日のニュースで耳に残った言葉。

『原発依存度ゼロを目標にしないと選挙で戦えない』

選挙のための原発ゼロ?本気か?
原発ゼロを選挙の『手段』にするとか、正直、狂ってるとしか思えない。
もしくは手段というよりは最低条件といったところかもしれない。

どちらにせよそれは『目標』とは言わない。
反原発主義者が求めてるのは『目標』としての原発ゼロでは?

それ以前に、原発依存度ゼロの為の手段は考えてるのだろうか。
火力発電に戻す気ならエコ政策はなかったことになるし、
自然エネルギーにしても、現状の原発分をまかなうにはコストがかかりすぎるといわれてる。
じゃぁ、そのコストはどうするのか?というと、税金でまかなうか電気代のアップか・・・。
ただでさえ増税が問題になってるところに、それはないだろう?って気がするのだが。

それとも、約束だけしておいて、
それまでには何らかの対策ができるだろうという、
いわゆる未来の人の技術力に頼った見切り的な約束なんだろうか。

もうね、いい加減その場しのぎってのはやめて欲しいと思う。
原発だってそうだが、結局のところ廃棄物の処理は未来の人に委ねて見切り発車するから、
今みたいに問題になってるわけで・・・。

ぶっちゃけ日本の政治レベルって、
原発を作り始めた1963年から何も成長してないという事なのだろうか。


ニュースを見るたびに、ため息しか出ないってのがなんともねぇ・・・・。

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2012年08月17日

みんな自分が見えてない

自分が見えてないという事というのは良くある事だと思うし、
また他人が持っている自分と同じ欠点というのは、
その欠点に自分では気付いてなくとも気になって仕方ないものだ。

これを近親憎悪とか同族嫌悪等と言う。

最近、この類で気になったことがある。
Facebookの話だ。

2chやミクシなどでよく見かけるのだが、
『日本人は匿名じゃないと何も言えないからFacebookは流行らない』という言葉。
確かに日本人全体にそういう傾向があるのは事実だし、別にそれ自体は構わないんだが、
事実を語るというよりは『馬鹿にする』ように書かれてる場合がよくある。

それって、書いた本人からすると、
『俺は違うけどね』的な意味合いも入ってると思うのだが、
そいういう事を2chやミクシで匿名で書いてる時点で、
書いた本人も同じように“匿名じゃないと何もいえない人”なんだと思う。

それもまぁ、人事やし、どうでも良いといえばどうでも良いのだが、
これって“自分は・僕は・私は”という主語を、
『日本人は』に置き換えてるのと同じかなと思ったり。

その、いわゆる日本人気質や島国根性については、
私自身も“どうなの?”って思うことが沢山あって、
ついついブログにも批判めいた事を書くこともあるのだが、
それもまた主語の置き換えなのかもしれないなと。

いや、逆に私も主語の置き換えをやってたからこそ、
主語の置き換えをしてる人が近親憎悪的に気になったのかもしれない。

気をつけたいところです。



無意識の事ですし、
また同じ過ちをやってしまうのかなぁ。

変に主語の置き換えをして『日本人はどうだ』なんて語るよりは、
『俺は匿名じゃないと何も言えないから2chの方が好きだ!』
『私は匿名じゃないと何も言えないからミクシの方が好きだ!』
と書いた方が、潔くて好感が持てる。

そんなことを思った。

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2012年08月10日

M&Aの印象

昨日、村上龍の『カンブリア宮殿』を見てて、
M&Aに対する印象が随分と変わった。

一言でM&Aと言っても、
敵対的買収だけではないという事実は理屈ではわかってたのだが、
どうもイメージがわいていなかった。

国際的な大手企業のM&Aなどは、
『力をあわせて頑張りましょうね』のような美談ではなく、
ニュースで見る限りだと、
SF映画の悪の大ボスがヒーローを体内に取り入れて、
その力を自分のものにしちゃうようなイメージにしかならなかったのよね。
(多分、実際はそんな事ないと思うけど。)

昨日の番組内の話も、
とりあえずカメラが映したものでしかないため、
真実とは違うかもしれないけれど、
敵対的買収ではない友好的なM&Aの片鱗が見れたという意味では、
凄く良いテーマだったのではないかと思う。

ただね・・・

『自分が今在籍してる会社に、
価値をつけるならいくらになるんだろう・・・。』


なんて考えると、すごく悲しくなってくるわけで・・・(爆)


番組内での村上龍氏の表情が、
いつもと違って生き生きしてたのも興味深かったなぁ。
『なんて、解りやすい方なんだろう』って。
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2012年07月23日

無責任と無責任のぶつかり合い

昨日、天神で原発反対のデモに巻き込まれた。

原発は要らない!
瓦礫も引き受けるな!

繰り返されるシュプレヒコール。
暑い中沢山の汗をかきながら、
老若男女大勢の人たちが大声で叫ぶ。

きっと本当に嫌なんだろう。
本当に不安なんだろう。

ただね、いつも思う。
そういうのって、若干理想論が入ってる。

原発はない方がいいだろう。
瓦礫ももちろん引き受けない方が良いに決まってる。

でも、現状としてあるものはどうにかするしかない。
反対運動を繰り返したところで、
ある日突然原発の施設が消失したりはしない。
瓦礫が消失したりはしない。

私は福岡に住んでる。
もちろん私も瓦礫なんか持ってきてほしくないし、
子供を持つ方なんかは私以上にそう願ってるだろう。

でも、

何処かが引き受けないと瓦礫は消えない。
福岡が引き受けなければ、他所の県が引き受けることになる。
もちろんその他所の県にも子供を持つ方は沢山いるはずだ。

そう、何処かが引き受けないと駄目なのだ。

デリケートな問題なので、
あまり触れたくはなかったのだが、
自分達が嫌だからといって、
その嫌を他所に押し付けるのも正直どうなの?って思う。
自分達がよければそれで良いのか?というと、
それってちょっと無責任。

そこを考えるのが政府の仕事?

いやいや、それもまた無責任。

ぶっちゃけ、無責任な政府に対して、
無責任な国民が、無責任に嫌だと言ってるだけにしか聞こえない。
もっと、皆が考えるべき事じゃないかと思う。

そう、何度も言うように、
そこに存在するものは嫌だと言ったところで、
勝手に消えたりはしないのだから。

現実ってのは受け入れるしかない、
受け入れた上でどうするかってのが大事だと思う。

原発だってそうだ。
作ってしまったものはそこにあるわけで、
稼動しないならその維持費はどうするのって話になると、
『作った人が悪いんだから私たちは知りません。』ってのは、
これもまた正しいんだけど無責任だと思う。

だって、そこにあるんだし、
作った人がどうにかできる問題ではないのは考えたらわかるはずだ。
それを何とかしてくれといっても何とかなるものではない。

だからやっぱり現実を受け入れた上でどうするかを考えるべきなのだ。

最近、常々思う。
こういう無責任さって、もっと小さな範囲の中でもよくある。
職場なんかでも良く見かける。

それは会社が考える事でしょ?私たちの責任ではありません。

そんなドライさ。
責任を押し付けた相手の事なんて考えない。
いやいや、皆で働いてる会社の事です。
問題は皆で考えるべきだ。
現実は受け止めた上で。

ともあれ、原発問題については、
確かに政府が進めた話で、
そこに国民の意思は関係してない。
だから政府に全てを押し付けるドライさってのは間違ってはないけれど、
政府だけじゃあれはもうどうにも出来ないわけで、
そこに『何とかしやがれ!』って何度言っても変わらないと思う。

皆が住む国のことなんだから、
もっと皆で考えるべきじゃないかなぁ・・・。

闇雲に反対と叫ぶ事って建設的ではないし、
それじゃ何も前には進まないと思う。

けど

ここまでの私の話もまた、
じゃぁ、現状の反対デモに対して、
どうすれば良いという提案が出せてないわけで、
これもまた建設的ではないし無責任だ。
何も前には進んでない。

書くだけ書いておいて申し訳ない。
とりあえず、もっと考えてみます。


posted by しま | Comment(2) | TrackBack(0) | 社会
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